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管理人の中学校時代 - 前編

管理人の中学校時代 - 前編

本当に荒れ大阪の公立中学校に通うことになりました。1982年に社会現象となった「積木くずし」の実写版のような中学校生活を送っていました。と言っても、私が不良だったわけではありません。そんな不良のいる学校で、嫌な想いをする真面目な生徒が私でした。

正直、こんな公立中学校に入学させた両親を恨んだぐらいです。実際、親友で勉強の出来るヒノマサは、この「積木くずし」中学には行かずに、転校していきました。また、小学校6年生の頃同じクラスにいた優勝な女生徒は、私立中学を受験して、「積木くずし」中学から逃げて行きました。

何も知らない私は、正に想像を絶する「積木くずし」中学で、生存競争をせざる負えなくなります。本当にとんでもない中学校でしたが、実社会で生きていく心構えはついたような気がします。そういう意味では、良かったと前向きに捉えるようにしています。

『積木くずし』(つみきくずし)

1982年桐原書店から出版された、実話を基にした穂積隆信による体験記である。副題は「親と子の二百日戦争」。映画化、テレビドラマ化されている。ある日、突然不良少女となった実娘・穂積由香里との200日間の葛藤を描いた作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

自殺した女生徒

私より1学年上の本当に綺麗な女生徒でした。亡くなられたと聞いた時は、全く信じられませんでした。「美人薄命」とはこのことかと、驚いたのを昨日のことのように覚えています。

同じ塾に通っていたので本当によく覚えています。涼しい目元の色白の典型的な美人がルイさん(仮名)でした。中学校2年生になって、クラスが変わって、友達ができなくなって自殺されたと風のうわさで聞きました。イジメがあったのかが疑われます。

積木くずしでも、親が俳優であったことと、腎臓が悪く薬の影響で髪が赤かったことから不良に目をつけられて負傷させられたことがきっかけで不良になっています。

ルイさんは、芸能人になってもおかしくないほどの美人でしたから、私のいた「積木くずし」中学の不良女子のターゲットになったのでしょう。繊細で、ストレスに対して弱い感じのルイさんだったので、自身が不良になって仕返しするとかせずに、突発的に自殺したんだと思います。

1980年前半は、イジメはそれほど陰湿なものはなく、不良やツッパリが生の暴力や暴言を吐いていたので、それが原因でしょう。学校側が真相を究明することなんて、あの当時、あの腐った「積木くずし」中学ではありませんから、真実はわからずじまいです。

自殺したのがルイさんの部屋で、2段ベットにヒモを掛けて首を吊っていたとのことです。 第一発見者が同じ部屋を使っていた妹のミカさんで、非常にショックを受けていました。

そして、このミカさんが、「積み木くずし」の主人公のように、不良になってしまいます。姉のルイさんに手を出した不良に仕返ししたんでしょう。その後、ミカさんは坂道を転がるように、典型的な不良少女になり、手が付けられなくなりました。

ルイさんという娘をなくし、残った娘は不良少女になってしまった現実を思うと、ご両親の嘆きはいかほどのものだったのでしょう。私も、この家族の不幸を思うと、胸が痛みます。今は、立ち直って幸せになってくれていることを祈るのみです。

 

夏にプールの授業はできない。

中学生の頃、プールの授業は半分程できませんでした。

理由は、不良連中が、授業にも出ずに朝から晩までプールに入って遊んでいて、プールを使えないからです。先生たちが、追い出そうとするのですが、プールに落とされたりして、結局は追い出せませんでした。

その後、色々と試行錯誤した有用な戦略としては、プールの授業の生徒たちが、プールの縁に座って、不良たちがプールから出ていくのを、ずっと待つというものでした。不良たちが全く出て行かない時もありますが、生徒たちの視線に耐えられないのと、プールの中で遊ぶことに飽きたのとで、出ていくこともあります。出て行った後に、プール授業再開です。

今から考えるとあり得ない状況ですが、その当時の先生たちは毅然とした態度を取らずに、不良たちに嘗められていたのが大きな原因です。

このように不良たちの王国である「積み木くずし」中学に、当時の私は嫌気がさしていました。更には、警察権力に頼って毅然とした態度を取らない教師たちにも、あきれ返っていました。今から考えると、日教組の方針等があり、教師たちも自由に動けなかったという事情があったのかもしれません。それでも、酷い状況で、真面目な中学生が馬鹿をみる状態でした。

 

唾だらけ!

松田(仮名)くんという不良がいましたが、小学校の頃は結構いい奴だったのに、中学生になって急に不良になりました。家が貧しかったということに少しは関係しているかもしれません。3人家族でしたが、6畳一間の文化住宅のようなところに住んでいました。お父さんは、長距離トラック運転手でほとんど家にいないというようなことを言っていました。母子家庭に近い環境でした。

学校に来て、机を覆うように寝て、授業中も自分自身の机のある床に、唾を吐きまくっていたので、めちゃくちゃ汚かったです。私は、気分が悪くなるので、見ないようにしていました。松田君だけではなく、他の不良も、机で唾を吐きまくっていました。本当に、汚くて不衛生でした。

 

落書き

不良の奴らの落書きは、本当に凄まじいものがありました。普通は、マジックで書くぐらいです。ひどい場合は、ペンキスプレーで、学校の塀に書く奴もいます。

しかし、「積木くずし」中学の不良は、彫刻刀で、机を彫って落書きをします。絶対に消えない落書きです。マジかとあきれ返ります。それも隠れてではなく、授業中堂々と彫刻刀で、机を彫っていました。まあ、注意して聞く連中ではないので、先生も諦めモードでした。

あとは、スプレーでライターで火をつけて、燃やしながら壁に落書きしている不良がいました。良くやけどをしないなと感心しましたが、教室が焦げ臭くなり最悪でした。さすがに火事になる可能性があるので、先生たちが大勢やってきて、力ずくでやめさせていました。正に、カオスの教室内での落書きです。

落書きで、教室内がカオスになっている時に、廊下に出て、ラジカセを大音量で聞いている不良もいました。漫画に出てくるようなツッパリ不良の学校でした。

「ここはどこなんや!」

と私は呆れかえり、ただ時が過ぎるのを待ち望むような中学時代でした。

 

 

昼休みは、校庭にバイクが走り回っている。

不良たち7~8人ぐらいが、盗んできたバイクで校庭を走りまくっていました。正に、尾崎豊の世界です。そういう状況なので、危なくて昼休みに校庭でボール遊び等はできませんでした。

校庭を、爆音を轟かせて走って何が楽しいのかなと思っていました。まだ中学生なので、同級生にかっこよく見せたかったのです。暴走族のように、公道を走っていた方が楽しいはずなので、わざわざ校庭のような狭いところを走り回るのは、同級生に見せびらかしたいからです。

これも、先生方が大勢でやめさせるように必死に戦っていました。イタチごっこでしたが、そのうち、不良たちが根気負けしたのか、昼休みに校庭をバイクで走り回ることはなくなっていきました。

返してこい!

未だに忘れられないことがあります。朝、「積み木くずし」中学に行ったら、正門を少し入ったところに、大型の国産自動車が止めてありました。先生が数人集まっていて、不良2~3人に必死の形相で、「返してこい!」と叫んでいました。

何を必死になってるんやと思い、ただならぬ状況を見守っていました。どうやら、「積木くずし」中学の不良3人が、大型の国産自動車を盗んで、無免許で運転して中学校まできたという状況でした。なんで、先生が、「元の所に返してこい。」と言っているのか、私はさっぱり理解できませんでした。

 

この不良3人は、立派な犯罪をしているわけです。大型の国産自動車を盗んだという窃盗罪、無免許で運転してきたことによる道路交通法違反です。直ちに、警察に通報して、逮捕してもらわなければならない状況です。

それを、よりによって、「元の所に返してこい!」とは、どういうことなのか?元の所に、無免許で運転して返却するように指図しているのか?返せば問題ないと思っているのか?この「積木くずし」中学の先生達にもあきれ返りました。今なら絶対にありえないことです。

この発言をしたことで、この教師たちも、刑事罰が下される可能性があるのです。今なら、スマホで録画して、親を介して弁護士を雇って、教育員会と警察に連絡することも可能です。

私の子供の中学が、こんな先生達なら、私はすぐに証拠を撮って行動します。それ以前に、先生の意識が変わっていて、先生が警察に通報するでしょう。いくら教え子と言えども、立派な犯罪を犯している場合は、きちんとした行動をとる出来です。昭和50年代の中学の先生は、未成年だからと生徒をかばい、警察に通報するということすらしなかったのです。なんということでしょう。

このことで、不良たちがもっと付け上がり、更なる悲劇が訪れるのです。

それは、後編に書くことにしますね。

 

 

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