即金4000万円のリストラ離婚後の転職
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管理人 – 母方の親類

管理人 - 母方の親類

母方の祖母

母方の祖父母に関して、私が母から伝え聞いたことだけを記載しておこう。母方の祖母は、母親がその当時会社を辞めて看病したそうである。そして看病の甲斐なく、亡くなったとのことである。母が子供のころは現在の福井県に住んでいたとのことであった。豪雪地帯で、冬になると雪で埋まるので、2階が玄関になって、そこから出入りしていたそうである。 母は、あの当時は子供で女性は私しかいなかったから、私が会社を辞めて看病せざる負えなかった。そのお陰で、年金が本当に減ってしまったと何回も私に言っていた。

祖母の親元も金持だったそうだ。祖母は、女性なのに師範学校を出て、学校の先生をしていたとのことであった。字がきれいで、非常に達筆であったと母親がいつも言っていた。母は、尋常小学校を卒業しただけで、社会に出た。戦争中だったので、尋常小学校でもあまり勉強は習わず、校庭に作物を植える仕事とかをやらされたと言っていた。

「私も学があったら、母親(祖母)ぐらい字がきれいだったら」

といつも言っていた記憶がある。ある意味、ないものねだりの性格である。

「祖母は、美人で才女であって、私には似ても似つかない。」

と母がよく言っていたのを覚えている。この母親のないものねだりの性格が私にも遺伝したのかもしれないが、今はそれを極力抑えて、前向きに積極的に生きるようにしている。

 

母の実兄

母の実兄のヨッシー(子供の頃のあだ名)は、田舎の家に養子に行ったため、姓が変わっている。当時は、戦争で食べることがままならない時代だったので、長男でっあった母の兄のヨッシーが養子に行くことになったのである。

当初は、「養子さん、養子さん」と言われて嫌な思いをしたとのことであった。私が小学校低学年の頃のヨッシーは、お酒が強いし、ガタイがごついし、非常に怖い印象であった。根は優しいと思うが、短気で気難しいところがあった。私もそういう性格を受け継いでいるのではと思うこともある。

ヨッシー奥さんさんは、本当に気のつく、素晴らしい女性である。苦労したのであろう。今の時代なら、ヨッシーは離婚になっていただろうが、ヨッシー奥さんができた人だったので、我慢のひと文字で家庭円満に暮らしていけたのであろう。ヨッシーのように、死ぬまで自分の非あるいは性格を直すことに気づかず、生きていくことは幸せなのであろうか?不幸せなのであろうか?思うに、「離婚」というハンマーで殴られたような経験をすることによって、人間的に一回り大きくなれるとしたら、死ぬ時には、それも一つの生き方として非常に良かったのではないかと思う。

裁判所の書記官

ヨッシーは、裁判所の書記官をしていて、たしか夜間の大学を卒業したように記憶している。書記官をしながら夜に大学に通っていたのである。昇進試験というようなものがあり、夏に合宿して勉強してその試験をパスしていったというようなことを記憶している。同志社大学の夜間を卒業したとのことであった。苦労人である。

夏にヨッシー家を訪問した際に、ヨッシーが、交通事故や殺人(?)の裁判の話をしていたのを覚えている。職場の話を外ですることは法令順守に鑑みて今ならダメなのだが、一時代前だったのでペラペラお酒を飲みながら話していたのを覚えている。

 

ヨッシー家には非常に大きなお仏壇があって、私が小学校低学年の頃、

「そのお仏壇をほめた」(子供なりに気を遣っていた)

のをしっかりした子だと褒めてくれたのを覚えている。ヨッシー奥さんが小学生になったばかりの私や私が小学校低学年の頃は、1年に1回母方の親戚全員で夏に旅行した。

 

実兄の次男 - 地方大学の学部長

ヨッシーの次男さんがいて、大きなラジコンカーを使わしてもらったことを未だに覚えている。ヨッシーの次男さんは聡明な人であった。学者肌なのだろうか?

確か、誠さんが大学院生の時、研究室の中で自分は嫌われているとぼやいていたのが非常に印象に残っている。国立大学大学院工学研究科助手になったあと、所属していた研究室の教授が地方大学の学長になったため、本人もその地方学に助教授(今でいう准教授)として就任した。その後、順調に教授になり、46歳ぐらいなのにその地方大学の工学部の学部長である(2010年4月の時)。さきがけのような大型グラントを2つも持っていてびっくりした。

実力もあり非常にやり手である。出身大学工学部の教授になることも打診されているようである。ただ、学部長でなくなるのと年収が減るそうである。現在(2010年4月)の年収が○○万円だそうで、私の年収と変わらない。やはり、大学の教員の給料は安い。それなりの名誉はあると思うが、激務である。あまり割の良い商売だとは思わない。

実兄の長男 - ボケやん

ボケやん(ヨッシーの長男さん)の結婚式も非常に印象に残っている。私が高校生の時に出席した産まれて初めて行った結婚式である。そのため、非常に印象に残っている。なにしか、バブル期の結婚式なので、非常に派手であった。ゴンドラでスモークがたかれて上から下りてくる。お色直しも、洋風、和風とあるいった具合だった。しかも相合傘で出てきたりした。最後は、私を含めた出席者全員が二人で手をつないでトンネルのようなものをつくって、その中をボケやんと奥さんのキョウコさんが、通っていったのを昨日のことのように覚えている。

キョウコさんは高校時代バレーボールで頑張っていて、そのまま会社に入社してボケやんと出会ったとのことである。アプローチも奥さんからで、旅行のお土産をボケやんに渡したことから始まったそうである。そのあとも、奥さんはずっと仕事を続けて未だに働いている。

ボケやんはどうしたのだろうか?私がボケやんの家に訪問したときは、普段の日なのに家にいて、かつ高校3年生になる娘さんを車で迎えに行っていた。残念ながら仕事にあぶれたのであろうか?長男が家を継いで親の面倒を見るという昔ながらの家督相続が行われている家である。ボケやんが幸せかどうかはわからないが、親と同居して実家にいなければ、おそらく路頭に迷っていたであろう。

ボケやんとキョウコさんの間には、男の子2人、女の子1人の3人の子供がいる。2010年4月現在では、一番下の女の子が、高校3年である。上の男の子は、大学を卒業して働いているということであった。

 

母の実弟

母の実弟のシズオさんとその妻のイッコウさんに関しては、正直私は良い印象は持っていない。母も私と同様かそれ以上に悪い印象を持っていた。

 

母の実家は、一番上の兄のヨッシーが養子に行ったため、シズオさんが継ぐことになった。そのことを非常に自負しているようである。戦争中に父がなくなり、その後母も亡くなったため、ヨッシーが家長として振舞っていたようである。ただ、ヨッシーとシズオさんの仲はそれほど良くなく、イッコウさん曰く、

「ヨッシーとの折り合いが悪く、シズオが飛び出したから、シズオは正式には尋常小学校しかでていない。そのため出世できなくて苦労した。」

そうである。確かに、

「ヨッシーは短気で気難しい」

と母も、ヨッシー奥さんも言うぐらいであるから、ヨッシーにも問題があることは確かである。

鬼のイッコウ

イッコウさんに関して、私が一番印象に残っているのは、二人息子に対する躾の厳しさである。とにかくイッコウさんの躾は本当に厳しかった。小さいころの私がシズオさん家で食事をしていたら、食事のこぼしたのを片っ端から拾って綺麗にしている思い出がある。もう40年以上も前のことなのに鮮明に覚えている。

私の母が痴呆症になって、一人暮らしがしたいと泣きついた際に、直接シズオさんの家に電話をかけた際も、イッコウさんを通じて「けんもほろろ」に断られたそうである。調子が良い時は、ある程度対応してくれても、助けを求めた際には冷たくあしらうといった感じであろうか?ただ、

一概にイッコウさんだけを責めるわけにはいかない。ボケた母に応対することは非常に大変である。実の息子の私でも嫌になることがある。ヨッシーもボケた母と喧嘩しているのである。ただ、何かにつけてヨッシー家は非常に親切である。シズオさん家はかなり冷たい。そして、どうなったかというと、ヨッシー家は非常に栄えて、シズオさん家は衰退の一途である。

私の家は中間ぐらいであろうか?やはり、他人や親戚には親切にしなければいけないと感じる。ヨッシー家は、男の子二人(ボケやん、教授くん)で、シズオさん家も男の子二人、フロンテ家は、一人っ子で私のみである。ボケやんは私立大学、教授くんは国立大学工学部、シズオさんの二人の男の子も、有名私立大学をを卒業している。

ボケやんは、地元に就職して、就職先がつぶれても、近所の知り合いのコネで何とか職を見つけたようである。まさに地元密着型である。私のような旅行好きには耐えられないが、田舎にいる親がしっかりしている場合の一つの選択肢であろう。

シズオさんの長男と次男

シズオさん家の長男は、大学院(修士課程)に進みたかったのだが、イッコウさんが大反対して進めず、その後芸能関係の仕事に携わったようである。ただ、私の母の話によると、親戚のお葬式の際に見かけたシズオさん家の長男君は、薬物中毒者のような感じでラリッていて、イッコウさんが恥ずかしいと言っていたくらいだそうだ。私の母曰く、一か所にじっとしていれなくて、小刻みに動いていたそうである。その後は、無職になって、引きこもっているという噂を聞いた。

また、シズオさん家の次男はどこかの製薬会社に就職してMRをしているそうである。ただ、20代の時に結婚しようとした際に、これまたイッコウさんからの大反対にあって、断念。現在でも独身だそうである。イッコウさんが亡くなって、50歳を過ぎてから同年齢の女性と結婚したと聞いたが、子供はもちろん作る予定はない。シズオさん家の長男君も引きこもっているぐらいだから独身のままである。このような状況では、もう彼らに直接お会いする機会はないだろう。シズオさん家というか、母親の本家は、これで実質的に継人がいなくなり、途絶えることになる。本家と言っても財産も何もないのだが、、、。

 

親戚といっても、てんでんばらばらで、ある意味他人であるとつくづく感じる。今後、もうお付き合いもすることはないので、寂しい限りではある。

 

 

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