即金4000万円のリストラ離婚後の転職
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夢の中にいた時

夢の中にいた時

夢中という言葉

何かに夢中になって、わき目もふらず取り組むということがある。その時はつらかったり、非常に大きなプレッシャーの中にいていたりする。ので、全然幸せとは思わない。でも、後から振り返ってみると、それは言葉通り「夢の中」にいるのである。

 

それとは反対に、プレッシャーがなくだらだらと過ごして、自分が楽しいと思った遊び場に行っても、振り返れば、「なんであんなに時間を無駄にしていたのであろう」と思う。しかも、楽しいという思い出があまりなり、という印象にないためあまり覚えておらず、後から振り返ることすら難しい。

 

人生の幸せの度合いは、この「夢中」の状態をどれだけ多く作ることができるかできまるのではないだろうか。ではなぜ困難な状態でも「夢中」になれるのであろうか?それはどうしても叶えたい目標があるからでないだろうか?

 

厳しい研究室時代

大学院時代に、私が自分から望んで厳しい研究室にいって、しばかれながら研究したのも、良い研究がしたい、認知度の高い一流雑誌の著者となる目標があったからである。「出ていけ。やめてしまえ」と言われても辞めなかったのも明確な目標があったためである。

 

実験が失敗して、というか望みようなデータが得られなかった時、

「金返せ!泥棒!泥棒!」

と耳元で叫ばれてもがんばったのは、海外留学するという目標があったからである。この目標というのは本当に大事である。なぜなら目標が将来の自分の姿だからである。このときは悲惨な環境であったが、夢中で生きていた。

正直、机が隣だった、今は国立大学教授になった藁くん(仮名)と飲みに行って、研究室を辞めようかとの相談である。その結果、

「研究室をやめることは決定した。問題はいつ辞めるかという議論になったのを覚えている。」

藁くんは、結局その厳しい研究室を辞めずに、助手まで勤め上げ、最後は教授上り詰めた。今振り返ると、あの日は充実していたなーと感じる。良い青春時代を送っていたなーと今振り返ると感じる。やはり、大変でつらい「夢の中」にどれだけいれるかということが、人生の充実感に繋がるのではないだろうか?消化試合のような人生を生きて何が楽しいのであろうか?

 

やっぱり、心がヒリヒリするような素晴らしい体験がしたいではないか?安定も重要だが、命綱(生命線の確保)があるんだったら、攻めていかないと!!

明るい未来を信じれるものだけに、明るい未来がくる

これは断言してもいい。あなたならどんな自分の将来を描くだろうか?

 

自分の能力を鑑みて、その厳しい研究室で研究するのもすごく嫌だった。海外留学するのも、すごく勇気がいった。極めつけはアメリカで研究室を持つためのジョブインタビューもすごく嫌だった。でも、将来に明るい目標(自分のラボを持つという)があった。

目標があれば、たとえその目標に到達できなかったとしても生き生きとして生きることができる。結局、自分の研究室を持つことはできなかったが、それでも、今振り返れば本当にいい思い出である。

 

小さい頃の親の教え

私は、小さい頃は良「い大学へ入りなさい」と言われ続けていた。

理由は、他人より良い暮らしができるから。楽して沢山給料がもらえるようになるから。と母親から特に言われ続けていたような気がする。40歳を過ぎた今、振り返ってみても、全く間違った教えではないと感じる。自分に特別な才能が見出せないならば、可能性を広げるためにも勉強して一流大学に入学することはベストな選択である。

 

ただ、楽してお金を儲けるためではない。自分に与えられた天分を完全に生かしきるためである。(松下幸之助の人生心得帳参照)。私は、

「早く偉くなって、楽してお金を儲けよう。」

と、そればかり追いかけてきた気がする。現在は、誰もが金持ちになって高い地位につきたがっているのかもしれない。そのため、不満が渦巻いている。私もこの負の連鎖の感情に引っ掛かったのだと思う。それに、最近、気がついたのは、離婚をして人生を見つめなおしたことと、本を読んで人生を探求したためである。

社会人になるまでは、本は無駄なものだと思っていた。今でも娯楽書籍や物語などはあまり役立たないとは思っている。しかし、ベストセラーとなっている人生訓などやノンフィクション、歴史書などは、自分自身の人生を考えさすし、非常に良い影響を与えてくれるものが多い。

 

母校の研究室での生活

私が大学4年生になったころ、やっと念願の研究室に配属された。これから研究生活が始まるのだと期待に胸を膨らませていた。今から考えると大学の教養時代に何もせずに、他力本願で、なにか良いことないかな、と本当に時間を無駄にしていた気がする。人生を振り返っても大いに反省している。あのときに、なぜ、少なくとも散策をして、お寺や国宝や重要文化財をすべて見て回らなかったのか?勉強に打ち込まなかったのか?部活動に精を出さなかったのか?悔やまれてならない。

司法試験に通るという大きな目標を立てるのも一つの手だっかも、いや英語を真剣に勉強するのも一つの手だ。とあれやこれやと思い浮かぶのである。が、過去を振り返っても仕方がない。いかにこの反省を今に生かすかである。やはり他力本願ではなく、馬鹿でもいい、ダメでもいいから、自分から率先して動いて色々と計画することである。

 

その研究室の長の教授が、まあ働かない人であった。本当にお気楽な仕事ぶりであった。というか、仕事をほとんどせず、ただ下にわがままを言って、高給を貰っていた。本当に教授になれば天国のようだと当時は感じられた。江戸時代の殿様のようなものである。「気楽で仕事は部下に押し付けたらよくて、社会的に名誉があって、そこそこの高給が貰える教授職。私も当時教授になろうと思ったのである。

実験はおろか、授業まで助手に押し付けていた。助教授1名、助手2名がいたので、今の研究室と違って、教授が働かなくても、何とかなっていた。その代わり助手が本当に下働きをさせられていた。私が見た教授像は、

「名誉があって、時間があって、お金がたくさんもらえて、こんな良い商売はないな。」

ということであった。

おまけに、教室員が博士を取ると税金のかからないお礼の現金が入ってくるのである。一人〇万円、外から論文博士をとる場合だと、〇万円近くになったのではないだろうか?4人に論文博士を授けて、自家用車を新調していたから優雅なものである。研究費でカラオケセットつきのテレビを買うわ、午後3時ごろから大相撲の中継テレビは見ているは、本当にやりたい放題であった。

 

教授を目指す

もちろん、私はこんなおいしい商売があるのなら、教授になろうと決心したことは言うまでもない。そして、どうしたら若くして教授になれるかを考えたところ、早く海外留学をして、良い論文を書いて、実力で教授職を手に入れるのが一番だと考えた。

当時は、博士号をとる前に中退して、助手になって、何年も下働きして、やっと1、-2年の留学が認められたのである。私は、超特急の博士号をとって、すぐに留学して、実績を出して、助教授で戻ってきて、5年以内に教授になるという道筋を描いたのである。

そのために、国内でトップクラスの研究室に、博士課程の最後の2年間お世話になったのである。そして、留学して、留学先で7年かかったけれども良い論文を書くことができた。すると、国内の状況が大きく変わっていたのである。こんなに早く変わるとは正直思っていなかった。母校の昔の教授みたいな気楽な教授の地位がなくなっていたのである。

 

教授もきちんと働かされるようになっており、研究費の不正も非常に厳しくなり、かつ謝礼金のようなものを受け取ることは禁止されていた。正直当たり前のことが行われるようになったのである。

気楽な教授になれるから、今まで頑張ってきたのにという思いであった。正直昔いた母校の教授の何倍もの業績を出していたので、教授になれるだろうと考えていたのだが、、。しかも、日本に帰ってすぐに独立したポジションも得られない。カナダやアメリカでPI(自分のラボを持つ)になることは、とてつもなく大変で現実的なオプションではなかった。

色々と悪戦苦闘した。ちょっとでも、いいポジションに帰りたいとあせっていた。こういうときは、焦らず実績だけを積み重ねるのが一番である。それをしなかったのである。

 

そして挫折

おいしいと思えるポジションに行った。失敗した。少なくとも全く同じ研究分野の教授の所に行っていたら、全く違った展開になっただろう。誘われていたのである。今思うとT先生が助教授を探していたので、それに打診したのが間違えであった。そこで、ある研究室を紹介された。助教授クラスの研究員を探しているということであったが、実はポスドクであった。

 

帰国後、自分自身が評価されていないと考えて、毎日が不満で一杯だったのである。昔の教授の境遇を目指していた自分がどうしてもこんな悲惨なことになったのだろう。学生や30代の時は下積みで、早く教授になって報われないといけないという気持ちでいっぱいであった。

ただ、2006年頃には教授職もそんなにおいしくなくなって、助手も一人ぐらいしかつかず、本当に雑用や研究費の取得等で大変な思いをする職に様変わりしていた。なんて自分は損をしたのだろう。という忸怩たる想いを持っていた。しかも、なかなか教授になれない。嫌気がさしていた。日本に帰ったらそこからリセットされてもう一度頑張れとの風潮があるように思えた。このときのことは今でも嫌な思い出として残っている。

 

そこで、我慢していれば十数年かしたら教授になれたかもしれないが、企業の研究職のほうが断然素晴らしいと感じる。今はこれで良かったと心から思っている。

企業に勤めている今は、大学と企業を自分の体験から比べることができる。私と同じように留学でそれなりの業績を残したけれど、結局日本の大学の研究室のシステムの大きな変化(しかも閉鎖性は継続している)や教授の仕事量の膨大さ等に嫌気がさして、企業に就職した人が何人かいる。

 

自分自身としては、教授になるために夢中で頑張っていた時代があったからこそ、今の満足できる仕事に就くことができているのだと思っている。夢の中の時代が私にもあったことに心から感謝しているのである!

 

 

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